〜Deir Paidir〜

第4章 神話(きおく)

March 31th, 2001

★ ★ ★




 かろうじて『神の力』とやらが残っているらしい神殿に辿り着いた。
 けれど腕の中で苦しげに呼吸を繰り返すディアドラを見ていると……神なんて、そんなものを信じることは出来なかった。
 彼女にこんな苦しい思いをさせる神ならば、そんなものは要(い)らない。
 ふうっとかすかに涼しい風が吹く。
「ティル!」
 神殿の入り口を入ったところで、聞き慣れた声が飛び込んでくる。
 フィンだ。
「ティル、無事か!? ディアドラは!?」
「……なんとか」
「そうか……」
 フィンが安堵の息を吐く。
 2人がいつまでも姿を見せないために心配して、こんな入り口のところで待っていたらしい。
 でも、とフィンが言葉をつなげる。
「おばさんが倒れた。何とか俺たちで連れてきたけど、他にもばたばた人が倒れてるよ」
「…………」
 ティルは唇を噛んだ。
 なぜこんなことが? 頭の中で繰り返されるのはその疑問だけだ。
「アリルは?」
「ああ、中で親の手当をしてる。アリルのおばさんも倒れたんだ」
「けど、水はないんだろ」
「ないんだけど……聖水だけは涸(か)れずにあったらしくて、それで何とかしのごうとしてる」
「何とも言えないな」
「あぁ……」


 それにしても、水の恩恵を受けた人々とは、こんなに弱いものだったのか。
 人間は遥か昔には砂漠で暮らしていたというのに。
 今でもキャラバンたちは砂漠を旅しているというのに。
 なのに、このまちの内部にいた人間は、ただ砂漠本来の気候に戻った、ただそれだけでこんなふうに弱ってしまうのか。
 守られた者は、守られた分だけ弱くなってしまうと?
「……ティル」
「……ん?」
 足早に大聖堂に向かう途中で、フィンが俯(うつむ)きがちに呟(つぶや)いた。
「突然消えるオアシスの話、知ってるかい?」
「消える……? いや」
「旅に旅を重ねるキャラバンたちはよく見るんだよ。それまではなんにもなかったはずの所に、ある日突然オアシスが現れてって。だけど、それは現れたときと同じように、いつしか忽然と消えているんだ」
「それが……この白のまちもそうだったんじゃないかって?」
「他に、理由が考えられないんだよ。……もちろん、論理的に考えればの話だけれど」
 思わずティルは振り向いた。
 フィンらしくもない、それはまるで……。
「それは、論理的じゃない事態だって言いたいのか?」
「要するにそういうことだね。……その幻のオアシスだって、こんなに長くあったという話は聞かないから。少なくとも何千年という単位であるんだろ、このまちは」
 ティルは険しい顔のまま頷いた。
 昨日読んだ歴史書、確かにそれにそう書いてあった。
 ならば、本当にこれは『カミサマ』の力のせいだと?
「……もうひとつ聞いてくれるか?」
「ついでだから聞く」
「……驕(おご)った人間はね、粛正(しゅくせい)されるんだ。自らのことだけを考えて、自然界を顧(かえり)みなくなった人は、それこそ神様の力で、天災を起こされて滅びるんだって」
「じゃあ……これは罰か?」
「だとしたら、俺たちはなんの罪を犯したんだろうな」
 ティルはそれには答えなかった。
 それは、自分ではないのか?
 突然変異……それがすべての災いの始まりだったのではないか?
 だから、金色の髪の子供は忌み嫌われてきたと……。






 大聖堂は、さすがにひやりとした冷気を保っていた。
 ティルとフィンが大聖堂に入ったときには、誰もが下を向いて座り込み、じっとしていた。
 2人が入ってきたことにも気が付かないようだ。
 そう、皆自分のことで精一杯で。
「無事だったんか」
 入り口付近にいたアリルが、2人の姿を見かけて声をかけた。
 さすがに多少疲れた顔をしているが、例の無愛想はまったく変化がない。
 それが、何故か無性にほっとした。
 アリルの側には、ティルテュが横たわっている。
「すまない、アリル。お前の母さんも倒れたんだろ?」
「ああ、オレのお袋なら大丈夫。大したことない」
 それに親父が珍しくお袋べったりだからよ、アリルは軽くそう言った。
「それよか、ディアドラは」
「連れては来た。けど、意識がなくて」
 ティルが答えた瞬間、腕の中のディアドラの白い指が、ぴくりと動く。
「! ディアドラ!」
「……あ……ティ、ル……?」
 ディアドラは掠れた声で、それでもティルに答えた。
 わずかに開いた瞳が、大聖堂のまばゆいあかりに反射する。
「これ……は、一体……?」
 辺りを見回して、ディアドラが問う。
 けれど、それに答えられる言葉が見つからない。
「とにかく、ティル。ディアドラを降ろしてやろう。休んだ方がいいよ」
 とりあえず、フィンの言うままにディアドラをそっと床に横たえた。
 しかしディアドラは、すぐに体を起こす。
「だめだよ、ディアドラ。フィンの言うとおりだ。横になっていた方がいい」
「私なら大丈夫……少しだけ熱気に当たっただけだわ」
 ディアドラは、切なそうに微笑んだ。
 ティルには、ディアドラがどうしてそんなに辛そうにしているのか、それがわからなかった。
「人がたくさん倒れてる……みんなこの気温にやられちゃったのね」
 その言葉は外に向けられていない。
 心の中で呟いた言葉が、ふと言葉となって口をついてしまったようだった。
 その言葉で、ふとディアドラの辛さの理由(わけ)が、伝わってくるような気がした。
 ……そういう、ことなのか。
 きゅっとディアドラは唇を噛む。
 彼女が黙って、3人は言葉を失った。
 いいや、ディアドラが黙らなくとも……本当は、喋る気力もなかったから。


 これからどうなってしまうのか。それは誰も知り得なかったから。



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