〜Deir Paidir〜

第4章 神話(きおく)

April 28th, 2001

★ ★ ★




 まちの入り口に立って、ティルは遠くを見つめていた。
 とはいっても、森のなくなった今のこのまちに、まち境などあってないようなものだったけれど。


 覚悟なら出来ている。
 そう、たぶんディアドラに出逢ったときから覚悟ならつけていた。
 逢えるはずのなかった人。
 求めあえるはずのなかった人。
 運命(さだめ)が許すはずもなかった人。
 そんな彼女に惹かれたときから。
 そうしていつか、彼女のために命すら落としてもかまわないと思うだろうことも。
 もちろん、自分の選択が卑怯であることは十分承知している。
 一番始末の悪い『逃げ方』でありえることもわかっている。
 けれど、彼女に言った言葉。
 あの言葉には、ほんのひとかけらの嘘もなかった。
 ───守りたい。このまちを……君を。
 心からそう思った。
 あのまま何もしなかったならば、何も守れないだろう。
 今まで、何もせずに壊してきたこと……それを今は、後悔している。
 もう遅いのかもしれないけれど。
 でも、本当は。
 なんのわだかまりもなく、ただ笑っていたかった。
 誰かに側にいて欲しかった。
 いや。
 誰でもいいわけじゃなくて。
 だけど、……その願いは、叶っていたのだ。
 知らないうちに、ティルはそれを手に入れていた。
 自分で目を閉じていただけだ。
 自分を包む暖かいものすべてに背を向け、手に入らないとふてくされていた。
 振り向くだけで良かったのに。
 ほんの少し、振り向く勇気があれば良かったのに。
 そうすれば、自分がわがままな願いを持っていたことに気付いたのに。
 もしあのままの自分だったらどうだったろう。
 きっと、自分の髪や瞳の色に甘えて、そんな暖かいものに気が付くこともなかった。
 自分だけが悲しいふりをして。
 本当は誰もが痛みや悲しみを抱えているのに。
 自分に酔って、その暖かさを傷つけて。
 それは、「知らなかった」という言葉で偽装した罪。
 そんなもの自分を正当化するためのいいわけにしか過ぎない。
 そんないいわけで、罪が軽くなるはずはない。
 ……それに気が付いた。
 ディアドラ……美しい心を持つ、一人の少女。
 彼女が教えてくれたのだ。
 わずかな時間で、ティルの心を解放してくれた。
 救ってくれた。
 だから。
 ───守る。
 こんどは、自分が。
 もう、理屈じゃない。
 魂が叫び出す。
(例えかなわなくとも。それでも、何もしないよりはずっとましなんだ)
 せめて抵抗してやりたい。
 最後の、このまちを飾る歴史として。
 微力でも……いい。


「ティル!」
 ふいに、知った声が後ろから自分を呼ぶ。
 びっくりして、ティルは振り向いた。
「……フィン!? アリル!!」
 アリルはまったく普段通りにひらひらと手を振る。
 フィンも笑って歩いてくる。
「よっ」
「遅くなってごめん」
 ティルは言葉を失う。それでも何とか、
「……どうしたんだよ、わざわざこんな所にまで来て!」
 それだけ言った。
 けれどアリルはにやりと笑う。
「ばーか。友達見捨てて逃げろって? そんなこと出来っか。オレたちだって男だぜ。最期まで付き合うさ」
「そういうことだね。第一、ティルにばっかりいいカッコはさせられない。まあ精一杯やって心中、っていうのも悪くないかもしれないよ」
「ちょっと縁起は悪(わり)ィか。ま、少しばかり縁起は悪い方が結果的にはいいって言うしな」
「それは一体どこの話だい?」
「……フィン。アリル」
 呆然と呟くと、フィンがいたずら好きのする表情で笑った。
「親友だろ? 運命共同体、って奴だな」
 その言葉……今なら素直に受けとめられる。
 ティルは、相好を崩す。
「……だな」
 短いけれど、伝わっている。
 それは、もともとあった回路に水が流れた、そんなイメージ。
 つまりずっと前から、その回路はつながっていた。
 ティルがせき止めていただけで。
 やはり、そうだったのだ。
 良かった……それに気付くことが出来て。
 たとえ、それが命の終わりの瞬間(いまこのときのこと)だったとしても。
 それだけで、もう。
「さて、と。ティル、作戦はどうすんだ」
「実を言うと、考えてない」
「だろうな。っつーか、3人じゃ立てる作戦もねえやな」
「でも、なんにも作戦がありません、じゃなんの役にも立たないだろ? せめて一部隊程度にダメージを与えられるくらいのことをしないと、どうしようもないよ」
「そうは言うけどな」
「そーそー。オレらみたいなアマチュアが足掻(あが)いたところでいい作戦出んのかよ」
「やってみないとわからないだろ。無駄口叩く暇があったらたまにはその脳も働かせた方がいいんじゃないか」
「お前っていつも一言多いぞ」
「そう言うお前はいつも思案が足りないよ」
「ああもう、漫才すんなよ」
「ティルだってツッコミ入れてんじゃねーか」
 平和なやりとり。
 そう、こんな関係を望んでいたから。
 ずっと。
 今まで話せなかった分を、取り返すように。
 残された時間は、ほんの少ししかないのだから。






 やがて、彼方から砂煙が見えてきた。
 怖くはない。
 生命の源泉から湧いてくる、熱い水の流れを感じ取れるから……。
「結局、浮かばなかったな。作戦」
「作戦名玉砕、か」
「それもありかもしれないね」
「マジで?」
 半分砂に埋まったホーン遺跡の白い石に腰を降ろして、3人はそれを見ていた。
 それはどんどんと近付いてくる。
 戦うために組織された集団だ。
 なにせ銀のまちは「戦いの神」をいただくまち。
 今の、自分を守ることすら出来ない白のまちでは応戦はしきれないだろう。
 3人がそこにいることを知りながら、白のまちの護衛団は来る気配もなかった。
 だが、それでいい。
 彼らは最後の砦である神殿を守っているのだから。
「さてと。そろそろ行くか」
 フィンが立ち上がる。
 アリルとティルも続いて立ち上がった。
 砂煙は、すぐそばだ。
 銀のまちの軍の先頭の兵士が肉眼で確認できるほどに。
「よし……。行くぜぇぇぇーっ!」
 ティルが叫ぶ。
 フィンとアリルが身構える。
 ティルが神剣をさっと振り上げる。
 振り上げる。
 ……その時!






 キイイイイィィィィィィン…………。






 突然。
 何?
 高い音。
 耳鳴りのような。
 そして、視界は、
 白。
 何もない色。
 それに染められて。
 光だ。
 鮮やかな白い光。
 いったい何の?
 ああ……。
 剣、だ。
 神剣が光を放っている。
 強い光。
 目を開けていられないほどに、強い……!
 何が起こったのだろう。
 わからない。
 音さえがかき消される。
 そのくらい、あたりは白。
 すべての景色を覆い隠す、白。
 純白。
 色はない。
 そのまばゆい光の中で……めまいのするような光の中で。


 ……ティルは、声を聴いた。
《……ティル。……聞こえる……?》
 !
 はっとした。
 でも目が開けない。
 その声は、確かに……。
(……っ、ディアドラ!? 君か? なぜ……!)
 それには彼女は答えない。
 そうしてただ、悲しげな声で。
《ごめんなさい、ティル……。私……騙すつもりじゃなかったのよ……》
 騙す……?
 ディアドラの言葉の意味がわからない。
 わからなすぎて目を開けようとするのだけれど、その光の強さにやはりそれは出来なかった。
(ディアドラ……どういうことなんだ!?)
《私の本当の名前はアナ……。何千年も、いえ、もっと遠い昔……。あの泉に閉じ込められて力を失っていたの》
 一体、それをどうやって理解すればいいのだろう。
 わからない。
 わからない。
 わからない!
 ディアドラが、何を言っているのか!
《私が最初から力を使っていれば……こんなことにはならなかったのに。ごめんなさい……》
 わからない。
 ただひとつ、わかることがあるとするならば。
 ディアドラの声が、とても悲しかったこと。
 とても切なかったこと。
 痛かったこと。
 そして、
 その声が少しずつ、遠くなっていくこと。
《でも……ティル。これだけは信じて。私、あなたが好きだったの。とても、好きだったの。……だから、ずっと側にいたかったの。それだけだったのよ……》
(ディアドラ……!)
 心が冷える。
《大好きよ……。さよなら…………》


「ディアドラあああああぁぁぁぁぁっっ!!」






 気が付くと、3人は鈍色の空の下に立ちつくしていた。
 呆然とフィンが呟く。
「あの光……なんだったんだ? あの光が、向こうの軍隊を蹴散らしたように見えたけど……目の、錯覚かな」
 アリルも掠れた声で。
「いや……オレも見た」
 3人は動かなかった。
 動けなかった。
 ……その時。
 空からぽつ、ぽつりと雫が落ちてきた。
 まるで、空が泣いているようだった。
「生命(いのち)の神様の……力、だ」
 フィンが言う。
 ティルは何も言わない。
 ただ、その胸元で、小さなペンダントが揺れて輝いて。


 ……気付いてしまった。
 唐突に……ぽつんと。
 何かが弾けるように。
 取り戻せなかったものが。
 ふいに現れて。
 けれど、慌てもしなかった。
 当たり前のことだったから。
 やがて……まちが濡れる。
 砂漠が濡れていく。
 豊穣の雨が、大地にとけていく……。



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